小学生から浪人生までのまつのすけを公開!

img_3227聖なる湖「琵琶湖」がある滋賀県大津市で生まれました。

約2200gという未熟児で生まれたわけですが、今ではすくすく育っています。育ちすぎて困っています。

小学生の時は泣き虫でよく泣いていました。

人よりも勉強ができるわけでもなく、走りが速いわけでもない”普通の”小学生でした。しかし、何かを創ったり、アホなことを考えるのが好きで、小学1年生の時からおちゃらけていました。

そして小学4年生の時にクレイジーな自分に気づきます。

この時ぽっちゃりだった僕はよく腹踊りをしたり、給食の時間に鼻から牛乳を出したりしていました。出してはいけないものもたまに出してました。

僕の通っていた小学校の伝説、「黒板にうOこ事件」のときも、率先して掃除しました。

将来の自分の自画像をダンボールで作る授業では、僕は宇宙人(上の写真)でした。なかなかの感性ですね。

中学時代ーまじめ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

中学は地元の中学に通っていたのですが、中学2年生の時に親の都合で引っ越すことになります。

親の都合とは、「会社員のパパが転勤で引っ越さないといけないの…」というよくドラマとかでやってるやつではなく、

「親父が田舎にログハウスを建てて、そこでお好み焼き屋やりたいねん」というものでした。

なかなかパンチの効いた理由ですが、当時の思春期真っ盛りのエッチなことしか頭になかった僕にとっては当然受け入れられませんでした。

大好きな地元を離れ、友達と別れるのは本当に辛かったです。しかし時間は止まってくれず、転校することになりました。

転校先では部活や勉強にも打ち込みました。特に中3の夏休みは鬼のように勉強しました。人生のうちで最も勉強することが楽しかった期間です。その結果、第一志望の守山高校に入学します。

中学生の自分は「みんなと同じがいい」「人と違うというのは恥ずかしい」そんな考え方でした。

自分から進んで何かに取り組むということはしませんでした。

高校時代ー青春

img_0214
高校に入り、さらにいろんな考えを持った人に出会います。そこにはおもしろい同志たちがたくさんいました。

高校では水泳部に入り、毎日部活中心の生活が始まりました。彼女もでき、充実した生活でした。そう、俗に言う青春ってやつです!

高校生の頃から少し自分の中に変化がありました。

それは、「自分から何かに挑戦しよう」ということです。

これまでは親や友達が提案したことに乗っかり、自発的に自分から何かをすることをしなかったのですが、2年生ころから変わり始めます。

2年生の学園祭で、模擬店の責任者になって仕入れやメニューやテーマを考えたり、水泳部の主将としても活動しました。

3年生では学祭実行委員に入り、ギターを必死で練習してバンドも組んでライブに出ました。体育祭では団長も勤めました。

高校生の時に「自分から行動する」ことの楽しさや、やりがいを知りました。

その結果、高校の卒業式で水着でウロウロするという発想に至りました。

浪人時代ー挫折

img_0816

現役のとき大学受験に失敗しました。

地元の滋賀大学教育学部のセンター判定はB判定。先生からも滋賀大学を勧められました。しかし、滋賀県から出てみたかった僕は、第一志望であった大阪教育大学を受験しました。

結果は不合格。

順調な人生だった自分に訪れた初めての挫折でした。

自分が情けなくて、泣きながら親に謝ったのを今でも覚えています。なんか、人生の終わりみたいな、笑。

でも今思うと落ちてよかったなと。

親には予備校のお金を出してもらって申し訳なかったですが、この挫折と1年間ひたすら勉強するという経験が今の自分につながっています。

挫折とうのは辛いものですが、そこから立ち直った時に人は成長できるのだと思います。

 

こんな感じの青春時代を過ごしてきたわけですが、お調子者の普通の小学生だったぼくが、徐々にクレイジーな人間に変わっていったのです。そして、いよいよ憧れの大学生活が始まっていきます!!

ABOUTこの記事をかいた人

たこ焼きを愛し、世界中でたこ焼きを焼くために飛び回っているたこ焼き野郎です。世界中で金色の全身タイツや、ドラゴンボールのフリーザの格好で人を楽しませ、「クレイジー」と言われることに快感を得ています。現在ニュージーランドでたこ焼きを売るため、奮闘中!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です