まつのすけの人生 (プロフィール一覧)

2015.11.14 野洲市民会館 50分.001

まつのすけのプロフィール

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こんにちは、森田 松之助です。
28歳たこ焼き屋です。

現在、世界でたこ焼きを焼いてます!!今はニュージーランドでたこ焼き屋を出すため、活動しています!

大学1年生のときに、学生が経営するBarの軒下でたこ焼き屋「たこのすけ」をオープン。大学の講義が終わってから仕込みをしてお店を開けていました。

旅が好きで、2010年から2011年まで、北海道から沖縄まで4200kmの距離を282日かけて歩きました。リヤカーにたこ焼き機を積んで、お世話になた人にたこ焼きを焼きながら旅をしました。

2013年にTABIPPO2013のプレゼンコンテストで優勝し、世界一周航空券をゲットしました。大学卒業後に大手企業の内定を辞退し、1年間かけてたこ焼きを売りながら世界一周の旅に出ます。12カ国でたこ焼きを売り、これまで世界で約1000人以上の人に食べてもらっています。

アフリカのモロッコでは、旅中に出会ったアナスというモロッコ人にたこ焼きを教え、今では彼がモロッコでたこ焼き屋を経営しています。おそらくアフリカで一番流行っているたこ焼き屋だと思います、笑。

2016年から半年間フィリピンセブ島の英語学校でインターンとして働き、現在ニュージーランドでたこ焼きを広めるため頑張っております。

これからもいろんな国でたこ焼きを売って、その国に根ざしたたこ焼き屋をどんどん作っていきます!!

まつのすけはこうやって育った

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小さい頃住んでいた家にはいろんなものがありました。ビリヤード、ダーツ、バスケットゴール(本格的なもの)エアーホッケー、サンドバック、筋トレマシン、その他多数。いろんなものがあったので、常に自分で遊びを考えていました。このときの自由な発想が今につながっているのかもしれません。

家族で遊びに行くときも遊園地とかではなく、常にキャンプでした。山や琵琶湖でテントを張ってよくキャンプをしました。小学3年生のときは、自転車で野宿しながら家族で琵琶湖一周をしました。無理やり連れて行かれましたが、今となっては良い思い出です。

小さいころからいろんな経験をさせてもらい、自由な発想をもって育ってきました。そんな自由な環境があったからこそ、今のクレイジーな僕になったのだと思います。本当に親に感謝です。

小学生から浪人生までのまつのすけの生い立ちはこちら。

小学生から浪人生までのまつのすけを公開!

三重大学生活のはじまり

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浪人時代の勉強のおかげで、無事に三重大学教育学部スポーツ健康科学コースに入学します。
大学時代はいろんなことに挑戦しました。
 
いろんな物語がありますが、、僕の物語は骨折から始まります。
 
骨折が僕の人生を変えてしまったのです。
 
当時水泳部だった僕は、1年生の時に東海国立大会で100m平泳ぎで優勝したんです。
 
そして夢にまで見た全国国公立大会の切符を得たわけですが、その大会の2週間前にまさかの骨折、、結局大会に出れず、挫折を味わいました。もう、この時は絶望でした。部活に行く回数も減りました。
 
しかし、このままではいけないと思い、骨折が治った1年生の夏休みに一人で四国一周バイクの旅をしました。
 
これが最初の一人旅であり、僕の旅の物語の始まりです。 

2009年 たこ焼き屋をオープン 大学1年

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大学1年生の夏、もっといろんなことに挑戦したいと思うようになりました。そして先輩に誘われた立命館大学のセミナーでその挑戦したいことが具体化されます。

それが「たこ焼き屋」でした。

何かに挑戦したい、いろんな人とつながりたい、誰もやっていないことがしたい、そんな思いからたこ焼き屋を開くことにします。

当時お世話になっていた先輩が、三重大学の近くでBarバズーカを経営されていたので、そこの軒下を使わせてもらって、地産地消たこ焼き「たこのすけ」がオープンしました。地元の食材を使って、味や焼き方は自分で研究しました。

たくさんの人に助けられ、お店を出すことができました。このたこ焼き屋「たこのすけ」のオープンが今まで物語になるなんてこの時は思ってもいませんでした。

僕が大学1年生でたこ焼き屋を開いた3つの理由

2010年 日本縦断リヤカーの旅 大学3年

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僕が大学3年生のときに1年間休学して北海道から沖縄までリヤカーを引いて日本縦断しました。日本最北端 北海道宗谷岬から沖縄本島最南端 きゃん岬まで歩きました。歩いた総距離は約4200km、かかった日数は282日でした。

雨の日も台風の日も雪の日も歩いていました。寝る場所はもちろん公園でテントを張って野宿です。1年のうちの半分以上は野宿してました。台風直撃野宿の時は明石大橋の下で死ぬかと思いました。

なんで休学までして歩いて旅をしたかというと、「一度きりの人生、おもろいことやってやろう!」それだけです。せっかく生きてるのだから、「やりたい!おもろい!」と思ったらと、ことんやってやろうと思いました。今でもその気持ちを忘れていません。

人がやらないようなことをして、学生中に何か語れるものを持ちたかったんです。

この旅が今の僕のモチベーションや自身につながっています。

日本縦断リヤカーの旅の詳細はこちら。

北海道から沖縄まで、たこ焼きを焼きながら歩いて僕が得た3つのこと

2011年 被災地でたこ焼き活動 大学4年

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日本縦断の旅が終わり、三重県に帰ってから3日後、東日本大震災が起きました。何か自分にもできないかと思い、友達からの誘いで宮城県にボランティアに行くことを決めました。NPOと避難所をつなげるプロジェクト「つなプロ」の二期として石巻市へ行きました。

被災地では避難所の調査をしていたのですが、自分にしかできないことで現地の人のために何かできないかと考えました。

そう考えたときやはりそれは「たこ焼き」でした。たこ焼きを避難所で焼くというプランに賛同してくれる友だちも集まり、あとは具体的に動きました。車をレンタカーし、たこ焼き機をレンタルし、イオンで食材を買い出しました。

向かう先は、宮城県気仙沼市大島。震災当時、大島は離島のため孤立してしまっていました。大島の人のためにたこ焼きを焼こうと、避難所になっている大島小学校に向かいました。

大島小学校で約1000個のたこ焼きを焼きました。小学5年生の男の子が言った言葉が今でも忘れられません。

「今まで食べたたこ焼きの中で一番美味しいよ!ありがとう!」

これを聞いたとき、ほんとうにたこ焼きをやっていてよかったなと思いました。自分のやってきたことは間違ってなかったんだと思いました。

この経験が今につながっています。

2012年 モロッコでたこ焼き屋 大学5年

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「モロッコにたこ焼きを広めよう」って。

鉄板と千枚通しだけ持ってモロッコに旅立ちました。

モロッコにした理由は、モロッコでたこがたくさん取れるからです。今スーパーで売ってるたこはモロッコ産がほとんどです。

なんの情報も持たずにとりあえずモロッコに行ったものの、全然タコが売ってない!スーパーにも市場にも売ってないんです。でも、きっと港に行けばタコは取れるはずだと思い、エッサウィラという港町に行きました。するとそこには新鮮な生きたタコが売ってたんです!!

サハラ砂漠で出会ったりょうたに手伝ってもらい、たこ焼きを路上で売りました。そこで1人のモロッコ人に出会います。名前はアナス。彼はエッサウィラでピザ屋をやっていました。

「俺のピザ屋の前でたこ焼き売れよ!」そう言ってお店を使わせてくれました。モロッコにできたたこ焼き屋はは大盛況でした。

僕が帰国する時、アナスに言いました。

「たこ焼きを教えるから、モロッコでたこ焼きを広めてくれ!」

そう言ってアナスにたこ焼きの道具と材料を託し、焼き方を教え、僕は日本に帰国しました。

それからアナスがどうなったか、、、下の記事で紹介します!

ちなみに現在アナスは長年やってきたピザ屋をすっぱりやめ、たこ焼き屋になっています、笑。

アフリカのモロッコにたこ焼きが伝わった物語

 2013年 TABIPPO2013 TOKYO DREAMで優勝

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卒業式が間近に迫った5年生の2月のことでした。TABIPPO2013というイベントが東京で開かれました。僕はこのイベントのプレゼンテーションに応募します。このプレゼンテーションのテーマは「世界でやりたい3つのこと」でした。

2月のイベントに向けて、プレゼンターの選考があります。書類選考や面接を経て、ついにファイナリスト3人に選ばれました。この3人がTABIPPO2013のイベントで2200人の前でプレゼンするのです。

僕は「たこ焼きを世界中で焼きながら旅をしたい」とプレゼンしました。そして、2200人の投票の結果、優勝してしまったのです。正直、驚きました。

そして、優勝商品は世界一周航空券!そう、僕が世界を旅するきっかけを与えてくれたのです。

しかし、この時すごく悩みました。ほんとうに行きたかった会社の内定ももらっていたし、内定者の同期も仲良かったし。内定を辞退して世界一周に行くのか、就職して何年後かに行くのか。汐留の本社にたこ焼きを焼きに行ったり、お世話になっている人事の方にプレゼンを聞いていただいたり、いろんなことをしました。

そして出した結論は「世界を旅する」でした。

この時から僕の人生は「たこ焼きと旅」になっていくのです。

TABIPPO2013プレゼンテーションで優勝したテクニックとは?

2014年 世界一周たこ焼き修行

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TABIPPO2013のプレゼンで優勝した僕は、内定を辞退し世界一周の旅に出ることに決めます。一度きりの人生、悔いのないように生きよう。そうやってこれまで選択してきました。このときも旅に出ることを選びました。

たこ焼き修行の旅は1年間かけて、アジア、ヨーロパ、南米、中米を中心に周りました。

これまで行った国は、中国、韓国、台湾、香港、ベトナム、ラオス、タイ、カンボジア、フィリピン、マレーシア、バングラディッシュ、ネパール、インド、モロッコ、フィンランド、ラトビア、ドイツ、スペイン、イギリス、ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ボリビア、ペルー、メキシコ、アメリカです。

この国のうち、12カ国でたこ焼きを焼きました。道や公園で売ったり、イベントに出させてもらったり、宿で振る舞ったり、いろんな方法でたこ焼きを食べてもらいました。

食べてもらった人に、その国の言葉で「おいしい」というコメントをもらい、動画を作っていました。

旅の最後ニューヨークでは、タイムズスクエアでたこ焼きをニューヨーカーたちに振る舞いました、笑。このチャレンジは想像を超える勇気がいりました。厳重テロ対策されている場所にガスと火とたこ焼きの鉄板を持って行くわけですから、笑。

全身タイツでヒッチハイクしたり、フリーザでワールドカップ見に行ったり、6088mの雪山を登ったり、10日間瞑想したり、貴重品全部盗まれたり、、、

ほんまにいろんな出来事があったので、オススメのスポットなども含めてブログで紹介したいと思います。

大手企業の内定を辞退してまで、僕が世界一周たこ焼き修行にでた3つの理由

2015年 TABIPPO2015 OSAKA WORLDで優勝

TABIPPO2013のプレゼンテーションで優勝してから3年が経ったとき、TABIPPO2015の情報が入ってきました。このイベントでは以前からあった「世界でやりたいことを語るプレゼン」だけでなく「世界を旅した経験を語るプレゼン」が追加されました。

僕が世界で旅した話をもっといろんな人に共有したいと思い、応募しました。書類、面接、そして今回新しく導入されたウェブ投票もありました。ウェブ投票の10人まで残り、そこから1人に絞られるという厳しい世界でしたが、最後のプレゼン審査でイベントのプレゼンターに選ばれました。

TABIPPO2015でのプレゼンテーションはのびのびできました。プレゼンのスキルも前回より格段に上がっていましたし、なにより語れるネタが増えていました。イベント自体もとてもいいイベントで、このイベントを創り上げる一員になれてよかったです。

そしてこの優勝賞金10万円を使い、モロッコでたこ焼き屋をやっているアナスに、業務用たこ焼き機を持っていくのでした。

2015年 モロッコに業務用たこ焼き器を持っていく

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 ある日アナスからこんなメッセージが届きました。

「ハイ!ミスター森田!君が持っているような大きなたこ焼き器がほしいぜ!」

アナスのたこ焼き屋はかなり流行っているそうです。僕が3年前に渡したたこ焼き器では小さく、営業が追いつかないということでした。

「じゃあ、俺が持っていくよ!」そういってモロッコまでの航空券をとり、赤提灯やのれんも一緒に持っていくことにしました。

そしてできたたこ焼き屋が上の写真です。もはや日本にいるようですね!笑。これで見かけもほんまの「たこ焼き屋」に近づきました。アナスのたこ焼き屋には毎日たくさんのお客さんが訪れ、そこには笑顔がありました。

今までモロッコのこの地に無かった「たこ焼き」というものがこの地に根付いているのを感じました。

アナスとの再会の記事はこちらから!

 

2016年 フィリピン セブ島の学校でインターン

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旅を終えて、三重県でたこ焼き屋をやっていたのですが、日常に物足りなさを感じてしまいます。やっぱり海外でたこ焼きをやりたい。そう思うのです。

考えていても仕方がないので「よし、フィリピンへ語学留学しよう」そう決めてフェイスブックで情報を集めたら、たくさん集まりました。その中で、セブ島の旅人たちの英語学校CROSSxROADの校長たくさんからメッセージがあったのです。

「うちでインターンやらない?」

インターンとは、働く代わりに授業料などがかからない制度で、これも何かのご縁だと思い働かせていただくことになりました。

考えていても仕方ないので、とにかくやってみる!これがCROSSxROADとの出会いでした。

セブ島では半年間インターンとして働き、英語も上達しました。セブでもたこ焼きを売りました。やっぱりたこ焼きを売っているときが本当に楽しかったです。

このインターンの半年間は英語だけでなく、フィリピン英語学校の運営についても少し学ぶことができました。そしてなによりたくさんの友達や同志ができました。ほんとうに自分にとって大切な半年になりました。

 

2016年〜 ニュージーランドでたこ焼き

そして現在!!

ニュージーランドでたこ焼き屋をやるために頑張っています!!

今後のニュージーランドたこ焼き情報をお楽しみに!!!

いったいどんな物語が待っているんでしょうか!!

ABOUTこの記事をかいた人

たこ焼きを愛し、世界中でたこ焼きを焼くために飛び回っているたこ焼き野郎です。世界中で金色の全身タイツや、ドラゴンボールのフリーザの格好で人を楽しませ、「クレイジー」と言われることに快感を得ています。現在ニュージーランドでたこ焼きを売るため、奮闘中!!

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