大学1年生だった僕がたこ焼き屋を開いた3つの理由

たこ焼き人生のはじまり

三重大学教育学部スポーツ健康科学学科に入学した僕は、一人暮らしを始め、新生活にワクワクドキドキしていました。

高校から続けていた水泳を大学でもやろうと決めていたので、水泳部に入りました。練習も、同期も、先輩もほんとうに面白くて、毎日練習に行っていました。

そして、東海国立大会で100m平泳ぎで優勝してしまいました。

090620_0858

この試合で、全国国公立大会の出場権を得たのです。

しかし、全国大会の2週間前に骨折してしまいます。

この時、ずっと水泳ばかりだった毎日に変化が現れました。

「もといろんなことに挑戦しよう」

そう思い、骨折が治ってから四国をバイクで一周し、セミナーに参加し、そのセミナーでやりたいことが具体化されます。

「自分でたこ焼き屋をやってみよう!」

こうして、たこ焼きの物語が始まるのです。

1. 新しいことに挑戦したい

untitled

大学に入りちょっとロン毛で調子に乗っていましたまつのすけです。

大学に入るまではあまり考えたこともなかったのですが、学生が経営しているBarバズーカでいろんな人に出逢ったり、先輩から海外旅行の話を聞いたり、セミナーで社会人の方の話を聞いたり、、

刺激的な人に出逢えば出逢うほど、自分でも何か新しいことに挑戦したいと思うようになりました。

大学一年生の前期を終え、後期に入るとどこか日常が退屈になってきたのかもしれません。

「もっと自分でいろいろやったらおもしろいやろうな」そんなことを漠然に考えていました。

何か新しいことに挑戦するのはほんとうに大変です。

1から100にするよりも、0から1を創る方がはるかに難しいと思います。

だけど、その難しい問題を一つづつ乗り越えてた時の達成感はなんとも言えません。

そこで得た経験は何物にも変えることはできません。

僕の人生は、毎回新しい挑戦の連続で、このたこ焼きの経験が今の自分の土台になっているのです。

大学1年生の頃から、このチャレンジ精神を持てたことはほんとうによかったです。

今このページを読んでいる学生の皆さん、ぜひいろんな新しいことにチャレンジしてみてください!

きっとその経験が今後の人生を楽しくさせてくれるはずです!

僕がそうだったように。

2. いろんな人とつながりたい

大学に入って、自分とは全く違うバックグラウンドや夢や志をもった学生にたくさん出会いました。

その中でも、部活や医学部の先輩には強い影響を受けています。

%e3%81%9f%e3%81%93%e7%84%bc%e3%81%8d%e3%80%80%e7%9c%8b%e6%9d%bfいろんな人と会って話すうちにもっともっとたくさんの人に会いたい、つながりたいと思うようになりました。もちろん、社会人の人たちともつながりを持ちたかったのです。

大学にいると、なかなか外の大人たちと繋がる機会がありません。せいぜいバイト先や、行きつけの居酒屋の大将くらいでしょう。

でも、もし自分でたこ焼き屋をすれば、普段大学生が会って話すことのないような人と話せるんじゃないか、、

そしてなにより食べに来てくれお客さんとつながれるのではいかと思ったんです。

%e3%81%82%e3%81%82%e3%81%82%e3%81%82%e3%81%82%e3%81%82

いざたこ焼きを始めると、新聞やテレビのマスコミの方、県庁や市役所の方、三重大学職員、そして様々なお客さん、学生、いろんな人と出会うことができました。

常連のお客さんもでき、一緒に話している時間が楽しかったです。ほんとうにいろんなことを教えてもらいました。

バイトではなく、自分でやっているからこそ、自分のたこ焼き屋で出会った人たちとのつながりを大切にしました。

そして人との出逢いがまた新しいものを生み出し、つながっていくことを学びました。

ここで出逢ったこんちゃんに、日本縦断リヤカーの旅で使用したリヤカーを作ってもらうのです。

そしてそれがまた新たな旅へとつながっていくのです。

3. 誰もやっていないおもろいことがしたい

%e3%81%82%e3%81%82

大学生の当時からそうなんですが、僕の考えで、「みんなと同じことしてもおもんないやん!」というのがあるんです。

もちろん、みんなで同じ目標に向かって何かを作り上げたり、みんなで助け合いながら行動することも好きです。

でも、「普通」とか「一般的」というのがイヤなんです。

昔の僕は「みんなと同じがいい」という考えでした。だから、松之助という古い名前が恥ずかしかったでんです。(今はほんとうに大好きな名前、お父さんありがとう)

うちの森田家の考え方で、良いモノを長く使うというものがあるんですが、小学生の時のピアニカが一人だけ黒だったんです。安もんのやつではなく、ええやつです。

「なんで俺だけピアニカ黒やねん!俺も水色がいい!」って音楽の授業のたびに思ってました。でも徐々に黒のピアニカが好きになり、自分の名前も好きになり、人と違うことをするのが楽しくなっていきました。

このときから、人と違うことに対して慣れていったのかもしれません。

大学生に入ると、みんな同じような生活をしているわけです。勉強して部活して飲み会してバイトしてみたいな。それがすごく嫌で、もっとオリジナリティーのあるおもろいことしたいって思ったんですね。

そして、行き着いたいたのが「たこ焼き屋」でした。

三重県の食材にこだわり、オリジナルのたこ焼きを研究しました。

誰もやらないおもろいことをして、他の人とはちがうおもろい人間になろうって思ったんです。

 

その結果、

 

 

 

今はこんなへんな人間になりました。

photo-2013-06-14-17-04-52

 

僕が変になっていった生い立ちはこちらから。

小学生から浪人生までのまつのすけを公開!

ABOUTこの記事をかいた人

たこ焼きを愛し、世界中でたこ焼きを焼くために飛び回っているたこ焼き野郎です。世界中で金色の全身タイツや、ドラゴンボールのフリーザの格好で人を楽しませ、「クレイジー」と言われることに快感を得ています。現在ニュージーランドでたこ焼きを売るため、奮闘中!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です